« 『碧いユートピア』終演 | トップページ | 家紋。指輪。風船。 »

2015年2月12日 (木)

演劇という生きていくために別になくてもいいものについて

演劇がなくちゃ生きていけない

そんな情熱的な浅墓なことをあたしは言いません。言えません。
だってなくても生きていけるから。呼吸してご飯を食べて眠れば大抵の人は生きていけます。
じゃあどうしてやっているのでしょう。

あたしくらい受動的に演劇人生をスタートした人は少ないのではないでしょうか。
気づいたら小学校の部活でやっていて、気づいたら中高でものすごい厳しい英語劇部に所属して。
気づいたらこの道に。という最後の部分はさすがに嘘です。高2の時に、演劇に進みたいと自ら決めました。ここは能動的。そりゃそうでしょう。ここが受動だったらあまりにも人生への意志がないじゃないですか。

まあ、とりあえず。ここで話したいのは演劇についての人生論ではなくて、碧いユートピアについて。

あたしは正直言うとただただもう一度やりたい。それだけです。でもそれは碧いユートピアじゃなくてもいい。ただただ自由にもう一度、ディスティニーさんと共演したい。それだけです。

それは気持ちが良かったから、楽しかったから、ではなくその逆。その真反対で、納得いかなかったから、気持ち悪かったから。それはディスティニーさんへではなく、彼と共演する自分自身に。

あたしは何をしていたんだろう。何を求めていた。
そして彼はあたしと共演することで何をあたしに求めていたんだろう?

あたしはぶれなくてよかった?それともぶれてよかった?
ぶれるって言葉じゃないな。どこまであたしでいればよかった?

わからないことばかり。

それは決して他人に投げかけるのではなくて、自分自身に、そして碧いユートピアに。

世の中にね、ユートピアなんてないんです。
あったらユートピアなんて言葉できてるかな?できてるか。

多少の不自由さは必要です。自由な自由なんてないんです。不自由な自由。
だからきっとユートピアも同じ。
でも。おそらく大半の人よりも自由に、自分の生きていきたいように生きているあたしは、ユートピアも生きてるんでしょうね。

そして2年前の青いユートピアはあたしにとって本当にユートピアだった。そう思います。
まあ大分美化されたり、逃げている部分もあるのだけれどね。

昨日、サクサク日。あ、美味しそうなクッキーの音みたい。
あたしはあそこで何をしたかったんだろう。
連れていって欲しかった?丸い輪の世界の外に?
でもね、連れて行ってくれなかったから。

あたしは台本にない台詞を言いました。
正直に、
素直に、
嘘偽りなく。

「怖い」
と。

台本通りに行けば怖くない。だって進むべき道は、結末が待ってるんだもの。
そりゃ怖くないでしょ?向かっている目的地が明確なんだから。
そこに待っている物がわかるから。

でも、あたしは、丸い輪の外に出てみたかった。
違う、守られてない、その台本の外に行きたかった。
見てみない世界を見てみたかった。
でも。怖かった。そこに行きたいけど、行くって宣言する勇気はなくて。
だから「怖い」って言いました。

そして、そのまま、台本の世界へとゆるりと戻っていきましたね。
何を望んでるのか、何処に行きたいのか。わかりません。
あたしは何の為にいたんだろう。
ぶれない軸?羅針盤?碇?それとも安心できる地上?

わかりません。わかりません。


続く。

« 『碧いユートピア』終演 | トップページ | 家紋。指輪。風船。 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1407699/58913163

この記事へのトラックバック一覧です: 演劇という生きていくために別になくてもいいものについて:

« 『碧いユートピア』終演 | トップページ | 家紋。指輪。風船。 »